ギリシャ一人旅 その13(最終回) 七日目 続き クレタ島(ハニア、レシムノ、イラクリオン) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
七日目、続き
レシムノのヴェネツィア要塞のすぐ下は、路地沿いにレストランや土産物屋やアイスクリーム屋などが軒を連ねる観光地になっている。
とりあえず昼ご飯を取った。
ピタの上に羊の肉、オニオン、ポテト、トマトがのっている。
軽食という感じ。
その後、レシムノ市街地を観光。土産物屋さんを冷やかしながら、ぷらぷらと町歩き。
街のシンボルっぽい噴水。
ぷらぷら歩くのにちょうどいい感じの街だった。半日くらいかけてゆっくりしたかった。
3時過ぎ、再びバスに乗り込んで、イラクリオンに移動。
バスの一番前の座席に座っていたので、バスが少し走った時点で、このバスの運転ちょっと荒いで、と思っていたら、レシムノの街を出てイラクリオンへ向かう大きな道に合流する信号で、左折信号待ちしていた軽自動車に追突。
「おいおいぶつかるやん」と思っていたら、本当にコツン、て感じでスロウにオカマを掘った。
さあどうなるんだろう、という感じだったけど、軽に乗っていた女性が車を出て来て、バスの車掌のおっちゃんも下車して、まあ5分程度で両者間の話し合いは終わり、何事も無かったかの様にバスは再び発車したのだった。
内心ヒヤヒヤしながら乗っていたのだけれど、さすがに反省したのだろう、イラクリオンまでずっと安全運転だった。
イラクリオンでは、2日前には行けなかった考古学博物館に行った。
何でも、アテネの博物館にはクレタ文明の遺物は全く保管されていないそうで、その多くはここの博物館に収蔵されている、とのことである。
行ってみると、建物が改装中のようで、中に入れたけれど部分的な展示っぽい。
それと、博物館の入り口とは別の裏口が無料開放されていて、そこでは古代ローマ時代の彫像が数多く展示されていた。
その後で少しイラクリオンの町歩きをしてみる。
イラクリオン旧市街の中には、非常に立派な大聖堂がいくつか建っている。
そのうちの一つ、聖マルコ。14世紀の建物のようである。中にも入れた。
夕食は、海岸沿いの道から少し登った、奥まった位置にあるレストランで。
場所が悪いのか、観光客の流れが無く、お店にお客さんは全く入っていなかったのだが、出て来た料理は美味しかった。エビのトマトソース煮込みが絶品。
スタッフド・グリーンペッパー(中にはチーズが入っている)も悪くない。
クレタの地酒であるラキも飲んだ。うん、美味しい。
クレタ島旅行、最後はイラクリオンで夕焼けの海を眺めた。翌日帰国するのが本当に名残惜しかった。
右に見えるはイラクリオンのヴェネツィア要塞。
というわけで、翌日の朝6時発のフライトでイラクリオン空港からアテネのヴェニゼロス国際空港まで飛び、あとはChina Airで、ミュンヘンと北京経由で帰国した。
帰りの飛行機で印象に残っているのは、機内のトイレの一つが詰まって故障していた事くらいだ。
行きのフライトで初上海を果たしたワタシは、帰りで初北京も達成。トランジットだけだが、ちょっと嬉しい。
帰国したその日はちょうどサマーソニックの二日目で、Sigur Ros、Soulwax、St. Vincentと非常に観たかった洋楽アーティストが揃っていた。
けど、さすがに帰国したその日に関空から舞洲へ直行しサマソニに参加するのは、体力的にも時間的にも無謀だろう、と考えて、本当に苦渋の決断で、今年のサマソニは参加を見送る事にしていた。
その代わり、荷物を一旦自宅に置いて、すぐに大阪に戻って難波ベアーズの埋火を観に行く。
残念ながらシガーロスのライブは観れなかったけど、代わりに埋火や対バンの他力本願寺のサイケに酔い、ソウルワックスの代わりに対バンのフリーダムという女性バンドで少し踊ったのだった。
以上、旅の記録オワリ
レシムノのヴェネツィア要塞のすぐ下は、路地沿いにレストランや土産物屋やアイスクリーム屋などが軒を連ねる観光地になっている。
とりあえず昼ご飯を取った。
ピタの上に羊の肉、オニオン、ポテト、トマトがのっている。
軽食という感じ。
その後、レシムノ市街地を観光。土産物屋さんを冷やかしながら、ぷらぷらと町歩き。
街のシンボルっぽい噴水。
ぷらぷら歩くのにちょうどいい感じの街だった。半日くらいかけてゆっくりしたかった。
3時過ぎ、再びバスに乗り込んで、イラクリオンに移動。
バスの一番前の座席に座っていたので、バスが少し走った時点で、このバスの運転ちょっと荒いで、と思っていたら、レシムノの街を出てイラクリオンへ向かう大きな道に合流する信号で、左折信号待ちしていた軽自動車に追突。
「おいおいぶつかるやん」と思っていたら、本当にコツン、て感じでスロウにオカマを掘った。
さあどうなるんだろう、という感じだったけど、軽に乗っていた女性が車を出て来て、バスの車掌のおっちゃんも下車して、まあ5分程度で両者間の話し合いは終わり、何事も無かったかの様にバスは再び発車したのだった。
内心ヒヤヒヤしながら乗っていたのだけれど、さすがに反省したのだろう、イラクリオンまでずっと安全運転だった。
イラクリオンでは、2日前には行けなかった考古学博物館に行った。
何でも、アテネの博物館にはクレタ文明の遺物は全く保管されていないそうで、その多くはここの博物館に収蔵されている、とのことである。
行ってみると、建物が改装中のようで、中に入れたけれど部分的な展示っぽい。
それと、博物館の入り口とは別の裏口が無料開放されていて、そこでは古代ローマ時代の彫像が数多く展示されていた。
その後で少しイラクリオンの町歩きをしてみる。
イラクリオン旧市街の中には、非常に立派な大聖堂がいくつか建っている。
そのうちの一つ、聖マルコ。14世紀の建物のようである。中にも入れた。
夕食は、海岸沿いの道から少し登った、奥まった位置にあるレストランで。
場所が悪いのか、観光客の流れが無く、お店にお客さんは全く入っていなかったのだが、出て来た料理は美味しかった。エビのトマトソース煮込みが絶品。
スタッフド・グリーンペッパー(中にはチーズが入っている)も悪くない。
クレタの地酒であるラキも飲んだ。うん、美味しい。
クレタ島旅行、最後はイラクリオンで夕焼けの海を眺めた。翌日帰国するのが本当に名残惜しかった。
右に見えるはイラクリオンのヴェネツィア要塞。
というわけで、翌日の朝6時発のフライトでイラクリオン空港からアテネのヴェニゼロス国際空港まで飛び、あとはChina Airで、ミュンヘンと北京経由で帰国した。
帰りの飛行機で印象に残っているのは、機内のトイレの一つが詰まって故障していた事くらいだ。
行きのフライトで初上海を果たしたワタシは、帰りで初北京も達成。トランジットだけだが、ちょっと嬉しい。
帰国したその日はちょうどサマーソニックの二日目で、Sigur Ros、Soulwax、St. Vincentと非常に観たかった洋楽アーティストが揃っていた。
けど、さすがに帰国したその日に関空から舞洲へ直行しサマソニに参加するのは、体力的にも時間的にも無謀だろう、と考えて、本当に苦渋の決断で、今年のサマソニは参加を見送る事にしていた。
その代わり、荷物を一旦自宅に置いて、すぐに大阪に戻って難波ベアーズの埋火を観に行く。
残念ながらシガーロスのライブは観れなかったけど、代わりに埋火や対バンの他力本願寺のサイケに酔い、ソウルワックスの代わりに対バンのフリーダムという女性バンドで少し踊ったのだった。
以上、旅の記録オワリ
ギリシャ一人旅 その12 七日目 クレタ島(ハニア、レシムノ、イラクリオン) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
2012-8-17 Fri
この日は、ハニアとレシムノを観光。翌日の朝6時のフライトをキャッチする為に、宿泊はイラクリオンで。
昨晩歩き回ったハニア旧市街の、日中の様子も見ておこうと思い、ホテルをチェックアウトする前の朝の時間帯をハニア観光に当てた。
まず、宿の斜め向かいに位置する考古学博物館。
古代ギリシャの石像や、床のモザイク画などを鑑賞。まあ15分程度。
次に、上空から眺めると十字の形をしているアーケードの市場。
観光地化されていて、土産物屋やパン屋、獲れたての魚や様々な食材が売っていた。
朝食の菓子パンと共に、相も変わらずに生オレンジジュースを飲む。
その市場の近辺にも御土産物屋が集まっていて、その中にCDショップを発見。
昨日の夜、エキゾチックなクレタ島音楽のライブ演奏を聴いていたので、これは良い旅の思い出になるぞ、と思い、CDを物色していると、店員さんが、熱心にクレタ島伝統音楽のCDを何枚か薦めてくれた。
その中の一枚を購入した。
(帰国して、若干ワクワクしながら聴いてみたら、それほど趣味じゃなかった。)
朝のハニアのヴェネツィアン・ポート。
そこに面して建っているモスク。
開いてなかったので、中には入れず。ちなみに夜は美しくライトアップされている。
一通り歩き回って満足したワタシは、今回二泊した宿の女性にキャッシュで支払いを済ませ、チェックアウト。
ハニアを後にして、バスで1時間強のクレタ島第三の都市、レシムノに向かった。
ところでハニアの宿代に関しては後日、トラブルが発生した。
元々予約していたホテル(実際には泊まっていない)から、ネットで予約した時に使ったクレジットカードで二泊分引き落とされていた。つまり二重にホテル代を支払ってしまったことに。
その、泊まっていない方のホテルと、実際に泊まった方のホテル、両方にe-mailで問い質すと、どちらからも、自分たちには非は無く、正当な請求なので、不正に請求している相手の方から返金を受け取って欲しい、という内容の返事を受け取った。
つまり、どっちかがウソをついているのである。今は、カード会社に事情を説明して調査を依頼中。
正直、こういう事もあるんだなあ、という感じ。最初に、その予約していたホテルのフロントスタッフから、別のホテルを紹介された時に、その辺をはっきりとさせていなかった事は反省点である。
さて、レシムノに到着。
バス・ターミナル横の荷物預り所で荷物を預けて、徒歩でレシムノの旧市街観光に出発。
レシムノの観光名所は、何と言っても、海に張り出すように建つヴェネツィア要塞跡。
入場料4ユーロ。要塞の中はなかなかの見物でありました。
ここは中近東のアラブ文化圏か?と見紛うような光景。
いい雰囲気のモスクが建っていた。
天井の幾何学模様が綺麗。
このスロープが何か良かった。
海とレシムノの街を眺望。
レシムノのヴェネツィア要塞終わり。
続く。
この日は、ハニアとレシムノを観光。翌日の朝6時のフライトをキャッチする為に、宿泊はイラクリオンで。
昨晩歩き回ったハニア旧市街の、日中の様子も見ておこうと思い、ホテルをチェックアウトする前の朝の時間帯をハニア観光に当てた。
まず、宿の斜め向かいに位置する考古学博物館。
古代ギリシャの石像や、床のモザイク画などを鑑賞。まあ15分程度。
次に、上空から眺めると十字の形をしているアーケードの市場。
観光地化されていて、土産物屋やパン屋、獲れたての魚や様々な食材が売っていた。
朝食の菓子パンと共に、相も変わらずに生オレンジジュースを飲む。
その市場の近辺にも御土産物屋が集まっていて、その中にCDショップを発見。
昨日の夜、エキゾチックなクレタ島音楽のライブ演奏を聴いていたので、これは良い旅の思い出になるぞ、と思い、CDを物色していると、店員さんが、熱心にクレタ島伝統音楽のCDを何枚か薦めてくれた。
その中の一枚を購入した。
(帰国して、若干ワクワクしながら聴いてみたら、それほど趣味じゃなかった。)
朝のハニアのヴェネツィアン・ポート。
そこに面して建っているモスク。
開いてなかったので、中には入れず。ちなみに夜は美しくライトアップされている。
一通り歩き回って満足したワタシは、今回二泊した宿の女性にキャッシュで支払いを済ませ、チェックアウト。
ハニアを後にして、バスで1時間強のクレタ島第三の都市、レシムノに向かった。
ところでハニアの宿代に関しては後日、トラブルが発生した。
元々予約していたホテル(実際には泊まっていない)から、ネットで予約した時に使ったクレジットカードで二泊分引き落とされていた。つまり二重にホテル代を支払ってしまったことに。
その、泊まっていない方のホテルと、実際に泊まった方のホテル、両方にe-mailで問い質すと、どちらからも、自分たちには非は無く、正当な請求なので、不正に請求している相手の方から返金を受け取って欲しい、という内容の返事を受け取った。
つまり、どっちかがウソをついているのである。今は、カード会社に事情を説明して調査を依頼中。
正直、こういう事もあるんだなあ、という感じ。最初に、その予約していたホテルのフロントスタッフから、別のホテルを紹介された時に、その辺をはっきりとさせていなかった事は反省点である。
さて、レシムノに到着。
バス・ターミナル横の荷物預り所で荷物を預けて、徒歩でレシムノの旧市街観光に出発。
レシムノの観光名所は、何と言っても、海に張り出すように建つヴェネツィア要塞跡。
入場料4ユーロ。要塞の中はなかなかの見物でありました。
ここは中近東のアラブ文化圏か?と見紛うような光景。
いい雰囲気のモスクが建っていた。
天井の幾何学模様が綺麗。
このスロープが何か良かった。
海とレシムノの街を眺望。
レシムノのヴェネツィア要塞終わり。
続く。
ギリシャ一人旅 その11 六日目 続き クレタ島(サマリア渓谷、アギアルメリ、ハニア) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
サマリア渓谷トレッキングに行って来た、続き。
トレッキングコースのゴールに到着し、その先にあるアギア・ルーメリに到着した。
クレタ島の南岸に位置するビーチ。
ここからハニアに帰る為には、17:30のフェリーでスファキアという町に向かい、そこからハニア行きのバスに乗る。
フェリーは17:30の一本だけなので、それまではビーチで時間を潰す。
数軒のレストランのうちの一軒に入り、ビールと魚のグリルを頼み、青い水平線を見ながらトレッキングの疲れを癒す。
何とも優雅なひととき。というか睡魔が。
海の水が透明で、とても美しかった。
近くの土産物屋をぶらつき、何かレアな感じの絵葉書たちを発見。
1枚0.3ユーロ、って、安い!
中には、何だコレ?って感じの変なおっさんの顔の写真の絵葉書とか。
みうらじゅんさんが来たら、大喜びしそう。
そういうのも含めて、7枚くらい買ってしまった。
で、折角なんで、海パン代わりに持参した短パン一丁の姿で海に入った。
砂浜、というか砂利の浜なんだけど、日光ですっかり熱くなっていて、足の裏がヤケドしそうに。
地面にタオルを敷いてその上に立つんだけど、そこから海までの5−6歩程度の距離が、中々足を踏み出せない。もう熱いの何のって。
あと、海に入っていて、足をつる、という生まれて初めての体験を。夏のクレタの海岸で。
浅瀬で良かった。クレタ島南部の海岸で消息不明にでもなったら、シャレになりません。
おかげで、もう年齢的に何が起きたって不思議じゃない。ということを軽く悟った。
モネンヴァシアで感じた様に、(日本から見て)地の果てに来た感を満喫した。
永遠の夏よ、さようなら。
って感じ。また来たいなあ。
さて、フェリーにのってバスの出ている町まで向かう。ちなみにフェリー代は9.5ユーロ。
海の上から眺めるクレタ島の光景もフォトジェニックなこと、この上ない。
ここに白い家を一軒だけ建てた人、実は天才ではないでしょうか。
40分程度で町に到着して、フェリーを待ち構えていたバスの群れから、ハニア行きのバスを見つけて乗車した。
道を走らせてバスは海岸から、徐々に高度を上げていく。
窓の外から海を眺めると、海の向こうに黒い陸地のようなものがはっきりと見えた。
ひょっとして、アフリカ大陸? 違いない。
そして海に別れを告げた。
ハニアまでは爆睡。
ハニアでは、宿で一息付いた後、夜の町歩きに繰り出した。
夜のハーニャ! 魅惑的な旧市街の街並みと、微熱を帯びた夜の観光地の賑わい。
居並ぶ数々のレストランの照明で水面が明るく光り輝いている湾、ヴェネツィアン・ポート。
そこの一軒のレストランで夕食を取った。
鉄串に、牛肉・豚肉・鶏肉が突き刺さった、スブラキ。美味い! そして高い! 18ユーロ。
さすが観光地。
メタクサという、ギリシャのお酒も頂いた。先日観た映画「キリマンジャロの雪」で、主人公の奥さんが美味しそうに飲んでいたお酒だ。なんかとても甘かった。
食事の後は、ひたすら路地をふらふらと彷徨い歩き続けた。
路地を歩いていて、またまた絵葉書屋さんを発見。
ここはさっきのアギアルメリの土産物屋と違って、ちょっとアートっぽい感じの絵葉書専門店。
多分20世紀初め頃のクレタ島の写真。いくつか気に入って購入した。確か1枚1.5ユーロくらい。
すっかり夜も更けた頃に、伝統音楽っぽい生の演奏を聴かせるお店を、路地の連なりの奥深くで発見して、思わずテーブルに座って何曲か聴き入った。
写真では男性二人だけど、この後で若い娘さんが一人加わり、歌を聴かせてくれた。
すっかりハーニャの夜を満喫した夜でありました。
今日の結論
クレタ島は、断然、海! ビーチ!
そして街に泊まるなら、断然ハニアである。
トレッキングコースのゴールに到着し、その先にあるアギア・ルーメリに到着した。
クレタ島の南岸に位置するビーチ。
ここからハニアに帰る為には、17:30のフェリーでスファキアという町に向かい、そこからハニア行きのバスに乗る。
フェリーは17:30の一本だけなので、それまではビーチで時間を潰す。
数軒のレストランのうちの一軒に入り、ビールと魚のグリルを頼み、青い水平線を見ながらトレッキングの疲れを癒す。
何とも優雅なひととき。というか睡魔が。
海の水が透明で、とても美しかった。
近くの土産物屋をぶらつき、何かレアな感じの絵葉書たちを発見。
1枚0.3ユーロ、って、安い!
中には、何だコレ?って感じの変なおっさんの顔の写真の絵葉書とか。
みうらじゅんさんが来たら、大喜びしそう。
そういうのも含めて、7枚くらい買ってしまった。
で、折角なんで、海パン代わりに持参した短パン一丁の姿で海に入った。
砂浜、というか砂利の浜なんだけど、日光ですっかり熱くなっていて、足の裏がヤケドしそうに。
地面にタオルを敷いてその上に立つんだけど、そこから海までの5−6歩程度の距離が、中々足を踏み出せない。もう熱いの何のって。
あと、海に入っていて、足をつる、という生まれて初めての体験を。夏のクレタの海岸で。
浅瀬で良かった。クレタ島南部の海岸で消息不明にでもなったら、シャレになりません。
おかげで、もう年齢的に何が起きたって不思議じゃない。ということを軽く悟った。
モネンヴァシアで感じた様に、(日本から見て)地の果てに来た感を満喫した。
永遠の夏よ、さようなら。
って感じ。また来たいなあ。
さて、フェリーにのってバスの出ている町まで向かう。ちなみにフェリー代は9.5ユーロ。
海の上から眺めるクレタ島の光景もフォトジェニックなこと、この上ない。
ここに白い家を一軒だけ建てた人、実は天才ではないでしょうか。
40分程度で町に到着して、フェリーを待ち構えていたバスの群れから、ハニア行きのバスを見つけて乗車した。
道を走らせてバスは海岸から、徐々に高度を上げていく。
窓の外から海を眺めると、海の向こうに黒い陸地のようなものがはっきりと見えた。
ひょっとして、アフリカ大陸? 違いない。
そして海に別れを告げた。
ハニアまでは爆睡。
ハニアでは、宿で一息付いた後、夜の町歩きに繰り出した。
夜のハーニャ! 魅惑的な旧市街の街並みと、微熱を帯びた夜の観光地の賑わい。
居並ぶ数々のレストランの照明で水面が明るく光り輝いている湾、ヴェネツィアン・ポート。
そこの一軒のレストランで夕食を取った。
鉄串に、牛肉・豚肉・鶏肉が突き刺さった、スブラキ。美味い! そして高い! 18ユーロ。
さすが観光地。
メタクサという、ギリシャのお酒も頂いた。先日観た映画「キリマンジャロの雪」で、主人公の奥さんが美味しそうに飲んでいたお酒だ。なんかとても甘かった。
食事の後は、ひたすら路地をふらふらと彷徨い歩き続けた。
路地を歩いていて、またまた絵葉書屋さんを発見。
ここはさっきのアギアルメリの土産物屋と違って、ちょっとアートっぽい感じの絵葉書専門店。
多分20世紀初め頃のクレタ島の写真。いくつか気に入って購入した。確か1枚1.5ユーロくらい。
すっかり夜も更けた頃に、伝統音楽っぽい生の演奏を聴かせるお店を、路地の連なりの奥深くで発見して、思わずテーブルに座って何曲か聴き入った。
写真では男性二人だけど、この後で若い娘さんが一人加わり、歌を聴かせてくれた。
すっかりハーニャの夜を満喫した夜でありました。
今日の結論
クレタ島は、断然、海! ビーチ!
そして街に泊まるなら、断然ハニアである。
ギリシャ一人旅 その10 六日目 クレタ島(サマリア渓谷、アギアルメリ、ハニア) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
2012-8-16 Thu
この日は、サマリア渓谷に行って来た。
クレタ島に行くと決めて、でもクレタ島で俺は何をすればいいんだろ?と地球の歩き方を読んでいると、”クレタに行ったらマスト”的な感じで書かれていたので、行ってみようかと。(←主体性ない)
”ダイナミックな景観の変化に富んでいて、ヨーロッパでも有数のトレッキングコース”とのことだった。
サマリア渓谷へ行くには、ハニアから出る地元のバスを使うか、ツアーに申し込むか。
ツアーがポピュラーみたい。ハニアからだけでなく、イラクリオンからもツアーは毎日出ている。
私は自力で行こうと思って、ハニアからアタックをかけた。
ハニアのバスターミナルのカウンターで、「サマリアに行きたい」と言うと、そのスタート地点であるオマロスまでのバスチケットを、ハニアに戻ってくるバスとの往復で売ってくれた。
バスは9時前(バスの時刻忘れた)にハニアを出発した。
山間を走るバスの車窓を楽しみながら、50分程度でオマロスに到着。
入山料で5ユーロ取られるも、入山チケットにはコースの簡単な地図が書かれてて、いい旅の記念品になる。
ゴールまで12.8kmと印刷されていて、ちょっと気合いが入った。
スタート地点は、いわば山の上。このトレッキングコースは、山の上からクレタ島南岸の浜まで、ずっと下って行くイメージ。
最初は、ひたすら山道を下った。
ひたすら。
足元が少し滑り易いので、注意。時折、軽快なスピードでどんどん追い抜いて行く人がいる。
暫く下っていると、いきなり賽の河原みたいなゾーンが出現。
小石を積み上げたのが、地面にいっぱい。
拡大写真。何だコレ?
さて、下りが一段落すると、清流や、
普通の山道ですな・・・でも、この道、木漏れ日が平和で、なんか好きだった。
休憩所ではヤギに出会えた
遺跡もあった。休憩を挟んで、もう2時間以上歩いている。
不意に山道で馬にも出くわす。
そして、サマリア渓谷っていうくらいだから、渓谷。
両側から巨大な崖が迫って来ている間の渓谷を歩く。ここがコースのクライマックス。
絶景であるが、その絶景を楽しむ心の余裕など、実はもはやどこにも無かったりする。
地層マニアは絶対に行くべき、って感じでしょうか。
ゴールした時、入山してから4時間経過していた。
あまり長時間休憩せずに、黙々と歩いて、コレである。
足の裏が半端じゃないくらい痛い。ペットボトルの水はとうの昔にカラである。
総括。サマリア渓谷トレッキングに必要なもの。
1)水。500mlのペットボトルを持って行ったけど、最後の方は足りんかった。
2)携帯食料。カロリーメイトみたいなやつ。バナナとかでも。万が一、ガス欠になってしまったら本当に大変。
3)ちゃんとしたトレッキングシューズ。後半は石だらけの河原を歩いて行くので、トレッキングシューズを履いていても、足の裏が痛くて痛くて。
4)帽子。あとできればサングラスも。
さて、ゴールを果たし、ゴールにある茶店で、生オレンジジュースを飲み干す。
昨日、フェストス遺跡で飲んで以来、なんかヤミツキに。
そこから少し歩くと、アギア・ルーメリまでのバスが出ている。2.5ユーロ。
歩いても全然行ける距離だけど、足が限界で迷わず利用。
チケット売りのジイサンにお釣りを1ユーロちょろまかされそうになった。
そして、アギア・ルーメリに到着!
ビーチ! 山から一転、海に来たのだ。土産物屋とレストランが建ち並ぶ観光地なビーチ。
さあ、飯だ。
続く
この日は、サマリア渓谷に行って来た。
クレタ島に行くと決めて、でもクレタ島で俺は何をすればいいんだろ?と地球の歩き方を読んでいると、”クレタに行ったらマスト”的な感じで書かれていたので、行ってみようかと。(←主体性ない)
”ダイナミックな景観の変化に富んでいて、ヨーロッパでも有数のトレッキングコース”とのことだった。
サマリア渓谷へ行くには、ハニアから出る地元のバスを使うか、ツアーに申し込むか。
ツアーがポピュラーみたい。ハニアからだけでなく、イラクリオンからもツアーは毎日出ている。
私は自力で行こうと思って、ハニアからアタックをかけた。
ハニアのバスターミナルのカウンターで、「サマリアに行きたい」と言うと、そのスタート地点であるオマロスまでのバスチケットを、ハニアに戻ってくるバスとの往復で売ってくれた。
バスは9時前(バスの時刻忘れた)にハニアを出発した。
山間を走るバスの車窓を楽しみながら、50分程度でオマロスに到着。
入山料で5ユーロ取られるも、入山チケットにはコースの簡単な地図が書かれてて、いい旅の記念品になる。
ゴールまで12.8kmと印刷されていて、ちょっと気合いが入った。
スタート地点は、いわば山の上。このトレッキングコースは、山の上からクレタ島南岸の浜まで、ずっと下って行くイメージ。
最初は、ひたすら山道を下った。
ひたすら。
足元が少し滑り易いので、注意。時折、軽快なスピードでどんどん追い抜いて行く人がいる。
暫く下っていると、いきなり賽の河原みたいなゾーンが出現。
小石を積み上げたのが、地面にいっぱい。
拡大写真。何だコレ?
さて、下りが一段落すると、清流や、
普通の山道ですな・・・でも、この道、木漏れ日が平和で、なんか好きだった。
休憩所ではヤギに出会えた
遺跡もあった。休憩を挟んで、もう2時間以上歩いている。
不意に山道で馬にも出くわす。
そして、サマリア渓谷っていうくらいだから、渓谷。
両側から巨大な崖が迫って来ている間の渓谷を歩く。ここがコースのクライマックス。
絶景であるが、その絶景を楽しむ心の余裕など、実はもはやどこにも無かったりする。
地層マニアは絶対に行くべき、って感じでしょうか。
ゴールした時、入山してから4時間経過していた。
あまり長時間休憩せずに、黙々と歩いて、コレである。
足の裏が半端じゃないくらい痛い。ペットボトルの水はとうの昔にカラである。
総括。サマリア渓谷トレッキングに必要なもの。
1)水。500mlのペットボトルを持って行ったけど、最後の方は足りんかった。
2)携帯食料。カロリーメイトみたいなやつ。バナナとかでも。万が一、ガス欠になってしまったら本当に大変。
3)ちゃんとしたトレッキングシューズ。後半は石だらけの河原を歩いて行くので、トレッキングシューズを履いていても、足の裏が痛くて痛くて。
4)帽子。あとできればサングラスも。
さて、ゴールを果たし、ゴールにある茶店で、生オレンジジュースを飲み干す。
昨日、フェストス遺跡で飲んで以来、なんかヤミツキに。
そこから少し歩くと、アギア・ルーメリまでのバスが出ている。2.5ユーロ。
歩いても全然行ける距離だけど、足が限界で迷わず利用。
チケット売りのジイサンにお釣りを1ユーロちょろまかされそうになった。
そして、アギア・ルーメリに到着!
ビーチ! 山から一転、海に来たのだ。土産物屋とレストランが建ち並ぶ観光地なビーチ。
さあ、飯だ。
続く
ギリシャ一人旅 その9 五日目続き クレタ島(フェストス、ハニア) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
フェストスからイラクリオンまでの帰りのバスの時刻は15:30。
バス待ちの数人の旅行者たちが、バス停でバスを待っていた。
バス停は、フェストス遺跡の駐車場の一画に位置していて、その先、駐車場の奥の方に建っている一軒の石造りの修道院が気になっていた。
バスの時刻まで10分ほどあったので、その教会、アギオス・ゲオルギオス教会を見に行った。
中は無人だった。
5分程度、カメラ片手にその教会の周りをうろつき、バス停に戻ると、そこでバスを待っていた人達がキレイさっぱり消え失せていた。
慌てて携帯を見て正確な時刻を確認する。バスの予定時刻の2分前。
フライングじゃねーかっ! いや、ギリギリに時間を考えていた私が悪い。
見事に私はバスを乗り過ごしてしまった訳である。
次のバスは2時間後。2時間も、無駄に待ってられへん。
こうなったらヒッチハイクでイラクリオンに帰ってやろう。
メモ帳に TO IRAKLION と書いてバス停の前に立った。
次々と目の前を通り過ぎる乗用車は、そんな私の姿を一瞥くれながら、どの車も無情に走り去っていくばかり。
結局、30分くらい粘ったけど、見ず知らずの車に乗る事のリスクを冷静に考え始めた私はヒッチハイク案はあきらめて、17:30のバスを待つことにしたのだった。
こんな風景を眺めながら、ずっとバスを待つよりほか無かった。
そんな事があって、イラクリオンに戻って来れたのは予定より2時間遅れの夜7時前。
バスターミナルBからバスターミナルAまでタクシーを飛ばし、ターミナルAでハニア(ハーニャ)行き19:45のバスのチケットを購入。13.8ユーロ。
50分くらいの時間が取れたので、適当にレストランに入って、夕食を急いで済ませた。
ハニアまでは、バスで2時間45分程度かかった。
到着したら夜10時をまわっていて、とにかく一刻も早くホテルに入って休みたい。
バスを下車してすぐに、近くにいたタクシー運転手を捕まえる。
ホテルの場所を示した地図を見せ、ここに行ってくれ、と言うと、少し考えた後で、
「7ユーロ」と言ってきたので、了解した。
やがてタクシーは、2分程度走って、2-3回角を曲がって、停車。
「すまないがここからは旧市街で夜は車は入れないんだ。ホテルはこの道をまっすぐ行って、突き当たりを左だから、歩いて行ってくれ。」
早い話、軽くぼったくられたのだが、疲れていて言い返す気力も無い私。
リュックを担ぎ、言われた方向に歩く。
そしてすぐに、まるで祭りの夜のような、夜のハニアの賑わいが私を取り囲む。
夜のハニア旧市街。
中世ヨーロッパの名残を残す、美しい街並み。
すでに夜も深くなりつつある時間帯なのに、立ち並ぶ店の数々から溢れてくる明かりで、街は光り輝いている。
その中を楽しそうにそぞろ歩く、大勢の観光客たち。様々なジャンルの土産物屋を冷やかしつつ、老若男女、カップルも家族連れも、浮かれ気分な表情で夜の散策を思い思いに楽しんでいる。街路はそんな彼らで歩行者天国である。
道の突き当たりは湾になっていて、そこではレストランやお店の明かりで水面は煌煌と輝いている。
そこは、まさしく夜のクレタの宝石のような街。
そんな夜のハーニャの熱に浮かされ、すっかり魅了されながら、私は今夜の宿を目指して歩いた。
タクシーの運ちゃんに言われたように突き当たりで脇の道に入ると、狭い路地の両側にお店が立ち並び、人ごみをかきわけながら、予約したホテルを探す。あった。
ホテルのフロントでは、一人の紳士が私を待ち構えていた。
彼は私が本当に来るかどうか、心配していたようだ。
それなのに私がチェックインしようとすると、人を呼んだので少し待ってくれ、と彼は言った。
待っている間、彼は達者な英語で自分がいかに日本びいきかを話していた。あと、東日本大震災の事とか。
やがて一人のTシャツ姿の若者が、入り口からホテルに入って来た。
フロントの紳士がその若者に声をかけてから、私の方を向いて、彼に付いて行け、と。
別館だろうか? ホテルを出て、その若者に付いて行った。
前を歩く彼に、今日はハニアはお祭りなのか?水曜日だけど祝日なのか?と聞いてみると、
「いつも夏の夜はこんな感じ。観光客がとても多いんだ。」とのこと。
さっき通ったばかりの路地を逆方向に戻り、やがて、Rent Roomの掛け札がかかっている、通り沿いの一軒のアパートメントに到着。その中の部屋の一つを案内された。
どうやら、私が予約していたホテルは、ダブルブッキングか何だか判らないが、到着が遅くなった私の代わりに他の客を入れてしまい、万一私が来てしまった時の保険として、別の民宿に声をかけておいたようだった。
案内されたその部屋は、一階で、単身旅行者にはやや広く、入り口の反対側には勝手口があって、そこから裏の庭に出る事ができる。裏庭には立派なソファーが置かれ、簡単なキッチンもその裏庭に設置されていて、庭もキッチンも自由に使って下さい、と言われた。
ただ、他の人がここを通る事があるので、了解しておいて下さい、とのことだった。
夜のハーニャに興奮を覚えつつも、とにかく一刻も早く眠りたい。明日の朝は早い。
夜の街を出歩くのは、明日の夜まで取っておく事にした。
ただ、寝る前に、この旅行2回目の洗濯を敢行。
洗濯物を全て干し終わってから、泥縄のようにベッドに眠り込んだ。
今日の結論
クレタ島は、バス観光がオススメである。
しかしやっぱりレンタカーにしときゃ良かった。
それと、夜のハニア旧市街は特別。
ギリシャ一人旅 その8 五日目 クレタ島(イラクリオン、クノッソス、フェストス、ハニア) [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
2012-8-15 Wed
熱帯夜。
昔の知人の夢を見て、不意に目が覚めてしまった。
そんなに親しい人ではなく、ただ、とても個性的で印象の強い人。今は何してんのやろ。
普段、夢を見る事は滅多に無く、奇妙な感覚に陥って、明かりもつけずにベッドの上でぼうっと放心状態。
ふと、夜闇に眼が一向に慣れず、異様なほど目の前が、塗り潰したかのように真っ黒な事に気付いた。
どうってことは無い。
部屋の窓が、木戸で完全に塞がれていて、外の街灯など、光というものが一切、部屋の中に全く入って来ないからだった。
「真夏のイラクリオの夜の闇は、まさに漆黒のやうだった。」
そんなよくある凡庸な小説の出だしみたいな、詩的な言葉が浮かんだ午前三時。眠くなったので寝た。
クレタ島に漠然と憧れを抱きながらも、クレタ島自体について、例えば歴史とか地理とか、ほとんど知識は無いに等しかった。
観光地と言っても、クノッソス遺跡くらいしか思い浮かばず。
で、そこに行くと決めてから、ガイドブックやネットで色々調べてみた。
分かったことは、クレタ島はビーチが有名で、ヨーロッパでは有数のリゾート地、ということ。
あと、行ってみて実感したのは、クレタ島は、島の北岸に都市と人口が集中していて(イラクリオン、ハニア、レシムノなど)、一方で島の南岸のほうは相対的に言って人気(ひとけ)が無い。いくつかの町とリゾート・ビーチを除いて。
島の中央部は山間部になっていて、街道沿いに小さな町や村が点在している感じ。
さて、朝。
ホテルをチェックアウトし、タクシーを捕まえて、ひとまずイラクリオンの旧市街に向かった。
街の中心はぐるっと城壁に囲まれていて、その内側が旧市街。
街には大きなバスターミナルが2か所存在していて、旧市街の東側の端っこの方に1ヶ所と、西側の城壁のすぐ外側にもう1ヶ所。
東側のバスターミナル(バスターミナルA)からは、クノッソス遺跡行きのバスや、ハニアやレシムノ、アギオス・ニコラオスといった、クレタ島北側の目的地に向かう長距離バスが発着している。
一方で西側のバスターミナル(バスターミナルB)からは、クレタ島の中央やや南部に位置しているフェストス遺跡とその先にあるマタラの町など、島の南部に向かう長距離バスが主に発着している。
とりあえず、まずはクノッソス遺跡である。
というか、クノッソスに行けば、今回のクレタ旅行はほぼ目的達成したも同然であった。
バスターミナルAの荷物預り所でリュックを預けてから(2ユーロ)、クノッソス行きのバスに乗って10分程度で到着。
観光客でごった返している。
ツアーガイドに引率された団体客がとても多い。
3500年以上前の文明の遺跡。
どっかのガイドブックに書いてあった。「この遺跡を楽しむには、想像力が必要。」
広すぎもなく狭すぎもない遺跡の中を一通り回った。
とにかく日射しが容赦無い。空に雲一つ無い。
ここは女王の間。ちょっと奥まったところにある。中には入れない。
行った時は空いてたけど、ここはこの遺跡の混雑スポットの一つと思う。
王座の間。
ここに入る為に10分ほど行列を並ばなくてはならなかった。
その王座の間に入る為の行列。
とにかく団体のツアー客が多すぎ。
さて、とりあえず気が済んだので、小一時間程度で遺跡を出た。
イラクリオンの街に戻り、午後のプランは未定だったのだが、イラクリオンの街にそれほど魅力を感じなかったので、フェストス遺跡に行く事にした。
ターミナルBへ向かう。
フェストス遺跡まではバスで1時間半。往復で13ユーロ。
バスの車窓に広がる、クレタ島のダイナミックな景観。大地が乾いていて、そこに植物の緑が点在していて、アメリカの荒野の景観に似ている。
ただ、クレタ島は山が近くて、その分、景色の変化がダイナミック。
所々、山間部の小さな村々を通過する。そこでバスを下車して自分の家に帰っていく若者がいれば、乗り込んでくる人たちもいる。
どの村にも石造りの古い教会が必ず存在していて、それがどれも写真に収めたくなるような、味のある外観をしている。
クレタ島は、ぼーっとバスに乗って景色を眺めているだけで、えも言われぬ旅情を楽しむ事が出来た。
移動でのバス使い、大いにおすすめ。
フェストス遺跡は、クノッソス遺跡と同じく古代ミノア文明の中心都市だった。
何でも、古代の大津波で、この内陸のフェストスまでもが壊滅状態になったそうだ。
最終的には、他の都市国家に滅ぼされて廃墟になったらしい。
クノッソスより、圧倒的に観光客は少なかった。
のんびりしている。
遺跡を一回りして、15分程度で見学終了。
こんなもんやろ、という感じ。
売店でオレンジジュースを頼んだ。おなかを壊すと嫌なので、氷抜きで。
レジの横に山積みになったオレンジを何個も無造作に取って、目の前で絞り立てジュースを作ってくれる。そしてこれが、実に美味かった。氷が無いので、ちょっと生ぬるかったけど。
あとは、イラクリオンに戻って、それから今日のホテルがあるハニアに移動するだけだった。
続く
熱帯夜。
昔の知人の夢を見て、不意に目が覚めてしまった。
そんなに親しい人ではなく、ただ、とても個性的で印象の強い人。今は何してんのやろ。
普段、夢を見る事は滅多に無く、奇妙な感覚に陥って、明かりもつけずにベッドの上でぼうっと放心状態。
ふと、夜闇に眼が一向に慣れず、異様なほど目の前が、塗り潰したかのように真っ黒な事に気付いた。
どうってことは無い。
部屋の窓が、木戸で完全に塞がれていて、外の街灯など、光というものが一切、部屋の中に全く入って来ないからだった。
「真夏のイラクリオの夜の闇は、まさに漆黒のやうだった。」
そんなよくある凡庸な小説の出だしみたいな、詩的な言葉が浮かんだ午前三時。眠くなったので寝た。
クレタ島に漠然と憧れを抱きながらも、クレタ島自体について、例えば歴史とか地理とか、ほとんど知識は無いに等しかった。
観光地と言っても、クノッソス遺跡くらいしか思い浮かばず。
で、そこに行くと決めてから、ガイドブックやネットで色々調べてみた。
分かったことは、クレタ島はビーチが有名で、ヨーロッパでは有数のリゾート地、ということ。
あと、行ってみて実感したのは、クレタ島は、島の北岸に都市と人口が集中していて(イラクリオン、ハニア、レシムノなど)、一方で島の南岸のほうは相対的に言って人気(ひとけ)が無い。いくつかの町とリゾート・ビーチを除いて。
島の中央部は山間部になっていて、街道沿いに小さな町や村が点在している感じ。
さて、朝。
ホテルをチェックアウトし、タクシーを捕まえて、ひとまずイラクリオンの旧市街に向かった。
街の中心はぐるっと城壁に囲まれていて、その内側が旧市街。
街には大きなバスターミナルが2か所存在していて、旧市街の東側の端っこの方に1ヶ所と、西側の城壁のすぐ外側にもう1ヶ所。
東側のバスターミナル(バスターミナルA)からは、クノッソス遺跡行きのバスや、ハニアやレシムノ、アギオス・ニコラオスといった、クレタ島北側の目的地に向かう長距離バスが発着している。
一方で西側のバスターミナル(バスターミナルB)からは、クレタ島の中央やや南部に位置しているフェストス遺跡とその先にあるマタラの町など、島の南部に向かう長距離バスが主に発着している。
とりあえず、まずはクノッソス遺跡である。
というか、クノッソスに行けば、今回のクレタ旅行はほぼ目的達成したも同然であった。
バスターミナルAの荷物預り所でリュックを預けてから(2ユーロ)、クノッソス行きのバスに乗って10分程度で到着。
観光客でごった返している。
ツアーガイドに引率された団体客がとても多い。
3500年以上前の文明の遺跡。
どっかのガイドブックに書いてあった。「この遺跡を楽しむには、想像力が必要。」
広すぎもなく狭すぎもない遺跡の中を一通り回った。
とにかく日射しが容赦無い。空に雲一つ無い。
ここは女王の間。ちょっと奥まったところにある。中には入れない。
行った時は空いてたけど、ここはこの遺跡の混雑スポットの一つと思う。
王座の間。
ここに入る為に10分ほど行列を並ばなくてはならなかった。
その王座の間に入る為の行列。
とにかく団体のツアー客が多すぎ。
さて、とりあえず気が済んだので、小一時間程度で遺跡を出た。
イラクリオンの街に戻り、午後のプランは未定だったのだが、イラクリオンの街にそれほど魅力を感じなかったので、フェストス遺跡に行く事にした。
ターミナルBへ向かう。
フェストス遺跡まではバスで1時間半。往復で13ユーロ。
バスの車窓に広がる、クレタ島のダイナミックな景観。大地が乾いていて、そこに植物の緑が点在していて、アメリカの荒野の景観に似ている。
ただ、クレタ島は山が近くて、その分、景色の変化がダイナミック。
所々、山間部の小さな村々を通過する。そこでバスを下車して自分の家に帰っていく若者がいれば、乗り込んでくる人たちもいる。
どの村にも石造りの古い教会が必ず存在していて、それがどれも写真に収めたくなるような、味のある外観をしている。
クレタ島は、ぼーっとバスに乗って景色を眺めているだけで、えも言われぬ旅情を楽しむ事が出来た。
移動でのバス使い、大いにおすすめ。
フェストス遺跡は、クノッソス遺跡と同じく古代ミノア文明の中心都市だった。
何でも、古代の大津波で、この内陸のフェストスまでもが壊滅状態になったそうだ。
最終的には、他の都市国家に滅ぼされて廃墟になったらしい。
クノッソスより、圧倒的に観光客は少なかった。
のんびりしている。
遺跡を一回りして、15分程度で見学終了。
こんなもんやろ、という感じ。
売店でオレンジジュースを頼んだ。おなかを壊すと嫌なので、氷抜きで。
レジの横に山積みになったオレンジを何個も無造作に取って、目の前で絞り立てジュースを作ってくれる。そしてこれが、実に美味かった。氷が無いので、ちょっと生ぬるかったけど。
あとは、イラクリオンに戻って、それから今日のホテルがあるハニアに移動するだけだった。
続く
ギリシャ一人旅 その7 四日目 移動日 モネンヴァシア→アテネ→クレタ島 [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
2012-8-14 Mon
朝5時に起床。
その前に、熱帯夜で夜中に一度目を覚ました。クーラーをかけると、いつの間にか寝てしまい、今度はその寒さでもう一度目を覚ます羽目に。時計を見ると5時だった。
旅行に出て3泊目、日に日に眠りが浅くなっているのを感じる。
開き戸を開けてベランダに出ると、外はまだ夜の闇、空には夏なのにオリオン座が。
宿を出たのは6時前。
薄明のなか、目の前に広がるは、海に浮かぶモネンヴァシア島のシルエット。上空には三日月。
圧倒的に美しい。
急激に夜が明けていく。バス停まで歩く。
バス停にて。空に三日月。
どんどん空が明るくなっている。ご来光は近い。
けどバス停の近辺からじゃ、角度的に太陽がモネンヴァシア島の背後に来てしまいそうだったので、場所を変えた。
早朝の、無人の浜辺。こんな絶景なのに、誰もいない。
ついに太陽が顔を出しました。
おはようございます。
この時、東洋人の男が一人、無人の浜辺で、バカみたいにひたすら同じ写真を撮っております。
ここは日本から見れば地の果て。
想像を超えるような美しい瞬間に立ち会った事に、素直に感謝。
これだけで、旅に出た甲斐があったかもって思った。
7時前に、女性が出勤して来てバス停の前のKTEL(長距離バス)の小さな事務所がオープン。
アテネ行きのバスチケットを買う。29.60ユーロ。
私以外には、いかにもな感じの旅行者は、ひと組の男女カップルしかいなかった。
他の乗客はその多くが、見た感じ、地元のギリシャ人で、スパルタとか遠方の町に用事があって出掛けたり、帰っていく感じの人たちだった。
鉄道網が発達していないギリシャでは、長距離バスがまさしく国民の足になっている。
この日は、19時台のアテネ→イラクリオンの飛行機に乗る為に、アテネに戻る、ただその為だけに割り当てた日だった。
二日目に行く積りをしてたけど行けなかったミケーネ遺跡に、この日、行くことも考えたけど、どうにも時間が読めず、断念することに。
(リスクを負ってミケーネ行きにチャレンジする事の決断がつかなかった、と言える。今考えると時間はたっぷりあったので、チャレンジすれば良かったかも。)
じゃあ、この日は何事も無く安穏と過ぎ去っていったのかというと、そんな事は無かった。
初心者トラベラーに想定外のトラブルは付き物である。
この日は、長距離バスの経由地のトリポリで、あやうくバスに置いていかれそうに。
行きの時(2日目のコリントス〜スパルタのバス)では、そこで10分程度のトイレ休憩が入ったので、今回もてっきりそうだと思って、バスを降りて、売店の方に向かった。
売店に入る前にふと不安になって振り返ると、さっき乗ってたバスが、今まさに、ターミナルを出発せんと走り出したのだった。
大慌てでバスに駆け寄るオレ。何せ、リュックはバスのトランクの中である。ここでバスを見送ってしまえば、その荷物が自分の元に戻って来る保証など海外では無いに等しい。必死である。
バスが気付いて停止してくれたので、事なきを得たのだけれど、運転手のオッサンにギロっと睨まれた上に、ギリシャ語で何やら怒られてしまった。
このちょっとした事件によって、私は、どんな時でも油断してはならぬ、いや何事も起こりそうに無い時ほど大きな人生の落とし穴が待ち構えているのだっ!という教訓を、自分の胸に深く刻み付けたのだった。
(まあ単純に、そんなもん、運転手に事前に確認しとけ、て話である。)
コリントス運河のバス・ターミナルでもバスは一度止まり(この時は5分間くらい止まってた)、終点のアテネはキフィスウ・バス・ターミナルに到着したのは午後1時過ぎ。
今回のギリシャ旅行で初めて見る人の多さに、大都市に来た事を実感。
この長距離バスターミナルは、アテネの中心からは少し外れていて、ブルーバスという市内のバスを使ってアテネの中心に向かった。
そのブルーバスの終点から、パルテノン神殿などが位置するアクロポリスの方向に向かって10分ほど南に歩き、様々な国籍の観光客で溢れかえるプラカ地区に入る。
ここはアテネの中で最もオシャレな感じの区画で、ショッピングがてら散策するのが楽しい。
今回のギリシャ旅行で初めて見る、いかにも日本人っぽい東洋人の観光客もちらほら歩いていた。
今回は、プラカ地区ではランチを取っただけで、その後はほぼ素通りして、アクロポリスの丘の南側、ディオニソス劇場の遺跡を観光した。入場料2ユーロ。
見事なすり鉢状の当時の劇場が今に残る遺跡だが、保存工事の鉄製の足場が残ってたりして、イマイチ。
パルテノン神殿には、10年以上前に一度、アテネに来た事があり、その時にも観光していたので、今回はパス。
炎天下のなか、重いリュックを担いで神殿のあるアクロポリスの丘の上まで登る気になれず。
それに、一度見ればもういいか、という感じ。
代わりに、以前訪れた時には無かった、真新しい建物の新アクロポリス博物館に入った。ディオニソス劇場の目の前である。入館料5ユーロ。
クロークにリュックを預け、古代ギリシャ/ローマ時代の遺物の彫刻や美術品を鑑賞。
エレクティオン神殿の女神像(柱)のオリジナルも展示してある。(この6体の女神像のうち、1体はイギリスに略奪されて、今も大英博物館に所蔵されている。)
ここはとにかく、建物がモダンでキレイ。訪れた価値はあった。
2004年オリンピックを契機とする、ギリシャ好景気時代の(今となっては)遺産と言える。
それから地下鉄で空港に向かい、フライト時刻まで時間を潰した。
クレタ島の中心都市イラクリオン。
その空港に着いたのは、すっかり夜になった8時過ぎ。
ついに、憧れの土地、クレタに上陸。
割とそんなに感慨もなく。
予約していた、空港から1km程度の距離にあるビジネスホテルにタクシーで向かい、チェックイン。
夕食は、ホテルの近所のファーストフード店で済ませた。
泊まったホテルの周りは本当に下町というか、結構汚くて、それがクレタ島の第一印象だった。
観光は明日から。
朝5時に起床。
その前に、熱帯夜で夜中に一度目を覚ました。クーラーをかけると、いつの間にか寝てしまい、今度はその寒さでもう一度目を覚ます羽目に。時計を見ると5時だった。
旅行に出て3泊目、日に日に眠りが浅くなっているのを感じる。
開き戸を開けてベランダに出ると、外はまだ夜の闇、空には夏なのにオリオン座が。
宿を出たのは6時前。
薄明のなか、目の前に広がるは、海に浮かぶモネンヴァシア島のシルエット。上空には三日月。
圧倒的に美しい。
急激に夜が明けていく。バス停まで歩く。
バス停にて。空に三日月。
どんどん空が明るくなっている。ご来光は近い。
けどバス停の近辺からじゃ、角度的に太陽がモネンヴァシア島の背後に来てしまいそうだったので、場所を変えた。
早朝の、無人の浜辺。こんな絶景なのに、誰もいない。
ついに太陽が顔を出しました。
おはようございます。
この時、東洋人の男が一人、無人の浜辺で、バカみたいにひたすら同じ写真を撮っております。
ここは日本から見れば地の果て。
想像を超えるような美しい瞬間に立ち会った事に、素直に感謝。
これだけで、旅に出た甲斐があったかもって思った。
7時前に、女性が出勤して来てバス停の前のKTEL(長距離バス)の小さな事務所がオープン。
アテネ行きのバスチケットを買う。29.60ユーロ。
私以外には、いかにもな感じの旅行者は、ひと組の男女カップルしかいなかった。
他の乗客はその多くが、見た感じ、地元のギリシャ人で、スパルタとか遠方の町に用事があって出掛けたり、帰っていく感じの人たちだった。
鉄道網が発達していないギリシャでは、長距離バスがまさしく国民の足になっている。
この日は、19時台のアテネ→イラクリオンの飛行機に乗る為に、アテネに戻る、ただその為だけに割り当てた日だった。
二日目に行く積りをしてたけど行けなかったミケーネ遺跡に、この日、行くことも考えたけど、どうにも時間が読めず、断念することに。
(リスクを負ってミケーネ行きにチャレンジする事の決断がつかなかった、と言える。今考えると時間はたっぷりあったので、チャレンジすれば良かったかも。)
じゃあ、この日は何事も無く安穏と過ぎ去っていったのかというと、そんな事は無かった。
初心者トラベラーに想定外のトラブルは付き物である。
この日は、長距離バスの経由地のトリポリで、あやうくバスに置いていかれそうに。
行きの時(2日目のコリントス〜スパルタのバス)では、そこで10分程度のトイレ休憩が入ったので、今回もてっきりそうだと思って、バスを降りて、売店の方に向かった。
売店に入る前にふと不安になって振り返ると、さっき乗ってたバスが、今まさに、ターミナルを出発せんと走り出したのだった。
大慌てでバスに駆け寄るオレ。何せ、リュックはバスのトランクの中である。ここでバスを見送ってしまえば、その荷物が自分の元に戻って来る保証など海外では無いに等しい。必死である。
バスが気付いて停止してくれたので、事なきを得たのだけれど、運転手のオッサンにギロっと睨まれた上に、ギリシャ語で何やら怒られてしまった。
このちょっとした事件によって、私は、どんな時でも油断してはならぬ、いや何事も起こりそうに無い時ほど大きな人生の落とし穴が待ち構えているのだっ!という教訓を、自分の胸に深く刻み付けたのだった。
(まあ単純に、そんなもん、運転手に事前に確認しとけ、て話である。)
コリントス運河のバス・ターミナルでもバスは一度止まり(この時は5分間くらい止まってた)、終点のアテネはキフィスウ・バス・ターミナルに到着したのは午後1時過ぎ。
今回のギリシャ旅行で初めて見る人の多さに、大都市に来た事を実感。
この長距離バスターミナルは、アテネの中心からは少し外れていて、ブルーバスという市内のバスを使ってアテネの中心に向かった。
そのブルーバスの終点から、パルテノン神殿などが位置するアクロポリスの方向に向かって10分ほど南に歩き、様々な国籍の観光客で溢れかえるプラカ地区に入る。
ここはアテネの中で最もオシャレな感じの区画で、ショッピングがてら散策するのが楽しい。
今回のギリシャ旅行で初めて見る、いかにも日本人っぽい東洋人の観光客もちらほら歩いていた。
今回は、プラカ地区ではランチを取っただけで、その後はほぼ素通りして、アクロポリスの丘の南側、ディオニソス劇場の遺跡を観光した。入場料2ユーロ。
見事なすり鉢状の当時の劇場が今に残る遺跡だが、保存工事の鉄製の足場が残ってたりして、イマイチ。
パルテノン神殿には、10年以上前に一度、アテネに来た事があり、その時にも観光していたので、今回はパス。
炎天下のなか、重いリュックを担いで神殿のあるアクロポリスの丘の上まで登る気になれず。
それに、一度見ればもういいか、という感じ。
代わりに、以前訪れた時には無かった、真新しい建物の新アクロポリス博物館に入った。ディオニソス劇場の目の前である。入館料5ユーロ。
クロークにリュックを預け、古代ギリシャ/ローマ時代の遺物の彫刻や美術品を鑑賞。
エレクティオン神殿の女神像(柱)のオリジナルも展示してある。(この6体の女神像のうち、1体はイギリスに略奪されて、今も大英博物館に所蔵されている。)
ここはとにかく、建物がモダンでキレイ。訪れた価値はあった。
2004年オリンピックを契機とする、ギリシャ好景気時代の(今となっては)遺産と言える。
それから地下鉄で空港に向かい、フライト時刻まで時間を潰した。
クレタ島の中心都市イラクリオン。
その空港に着いたのは、すっかり夜になった8時過ぎ。
ついに、憧れの土地、クレタに上陸。
割とそんなに感慨もなく。
予約していた、空港から1km程度の距離にあるビジネスホテルにタクシーで向かい、チェックイン。
夕食は、ホテルの近所のファーストフード店で済ませた。
泊まったホテルの周りは本当に下町というか、結構汚くて、それがクレタ島の第一印象だった。
観光は明日から。
ギリシャ一人旅 その6 三日目続き モネンヴァシア [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
4時だけど、日はまだまだ高く、夕暮れはまだ遠い。
宿からモネンバシアのバス停まで、歩いて10分程度の距離。
本当に良い天気だなあ。
そのバス停の先の橋を渡り、右手に青く輝く海を見ながら、ひたすら一本道の長い車道を歩く。
左手の山塊を見上げると、城壁らしきものが頂上に見える。
その車道の終点、陸地から見ると島の裏側に隠れた辺りで、町のゲートがある。
そのゲートをくぐると、中世ヨーロッパな感じの狭い路地と、その路地沿いに並ぶカフェや土産物屋、アーティストショップといったお店の数々。
狭い石畳の路地と階段が、迷路のように入り組んでいる。散策が楽しい。
女子がよく使う形容詞「可愛い」という表現が、まさしくぴったりの町だ。
観光客が多くもなく、少なくもなく、ちょうどいい感じ。
遠路訪ねる価値のある、超オススメの観光スポット。
ところで島の裏側にこの町を建設したのは、何よりも防衛のためだろう。
スラヴ民族が侵入して来た時にこの島に逃げ込んだギリシャ人たちによって建設されたそうだ。
ちなみに、道が狭くて車はこのゲートの内側の町には入れない。
ゲートの外の長い一本道には、縦列駐車が延々と続いているのだが、その多くは観光客のものではなく、中で働いている人や中の住民の車だと思う。
さて、せっかくここまで来たのだから、と、モネンバシアの山の上の城壁を目指す。
つづら折れの坂道が見える。目の前の高さに一瞬ひるむけど、登ってみればそれほど大したことない。
前日のミストラ遺跡もとりあえず山の頂上を目指した。折角来たのだから、とりあえず登ってみるのだ。そこに遺跡があるのだから。
石畳や階段が、磨り減ってしまったのか、靴がすべりやすくなっている。気をつけて、ゆっくり登る。
この道は、女性のサンダル履きではちょっと厳しいかもしれない。
そして、上に着きました。
思わず、来た道を見下ろしてみたくなる。
そして切り立つ崖、眼下の小さな町、青い海の絶景。
台地状になっている上の世界は、下の狭い町とは対照的に、だだっ広い草原の中に建物跡や城壁の遺跡が点在している吹きっさらしの廃墟の世界。
ここはかつては町の支配者層がお城を築いて住んでいたんだなあ。
諸行無常。
崖の下には、ただひたすら青い海が、遠い水平線に至るまで、周囲に広がっている。
教会の遺構が状態良く残っていた。アギア・ソフィア教会。今は無人の廃墟。
そこの教会の横を抜けて、ずんずん奥へ進む。
教会から10分ほど歩いて、城壁跡に到着する。
モネンヴァシアの上まで来る人は多いけど、大抵の人はアギア・ソフィア教会まで見て帰ってしまい、一番奥のここまで歩いてやって来る人は非常に少ない。(私以外には、二人くらいしか見なかった。)
しばし佇む。
そのうち飽きてきたので教会の方向に戻る。というか、寂寥感に耐えきれなくて。
しかし海がキレイだ。
モネンバシアの上は、ちょっとしたハイキングコースになっていて、教会や城壁跡以外にも、ハマムの跡や貯水池の跡が点在している。この廃墟もかつてはモネンヴァシアの支配者階級の住む場所で、水道の確保はまさしく生命線だったんだろうな、と想像したり。
太陽がだいぶん傾いてきて、黄昏時の光線が枯れ野の草にきらめいて、めっちゃキレイ。
思わず思い出してしまったのは、アレですよ、ナウシカのアレですよ。
モネンヴァシア、来て良かった。
この廃墟の台地で夕暮れを見ようか、と思ったけど、やっぱり暗くなる前に、下の町に降りた。
そしてカフェに入ってひとまずビール、である。
7時過ぎでまだ明るかったけど、夕食取らな、と思い、モネンヴァシアと本土を繋ぐ一本道の付け根辺りに位置している、一軒の雰囲気のいい浜辺のレストランに入った。
野外のテーブルに腰をかけて佇んでいると、対岸の浜辺の方から、スピーカーに流れてポップス風の楽しげな歌と演奏が聴こえてきた。
ビーチで地元バンドのコンサートが開催されているみたい。
ギリシャの郷土料理のムサカ(美味しい)を食べ、地酒(醸造酒)Tsipouroを飲んでいる内に、すっかり夜に。
ギリシャの僻地の海辺で、お酒を飲みながら物思いにふけるオレ。
ああ、こんな老後を過ごしたい。
暗くなったので、帰りはタクシーを使った。
宿からモネンバシアのバス停まで、歩いて10分程度の距離。
本当に良い天気だなあ。
そのバス停の先の橋を渡り、右手に青く輝く海を見ながら、ひたすら一本道の長い車道を歩く。
左手の山塊を見上げると、城壁らしきものが頂上に見える。
その車道の終点、陸地から見ると島の裏側に隠れた辺りで、町のゲートがある。
そのゲートをくぐると、中世ヨーロッパな感じの狭い路地と、その路地沿いに並ぶカフェや土産物屋、アーティストショップといったお店の数々。
狭い石畳の路地と階段が、迷路のように入り組んでいる。散策が楽しい。
女子がよく使う形容詞「可愛い」という表現が、まさしくぴったりの町だ。
観光客が多くもなく、少なくもなく、ちょうどいい感じ。
遠路訪ねる価値のある、超オススメの観光スポット。
ところで島の裏側にこの町を建設したのは、何よりも防衛のためだろう。
スラヴ民族が侵入して来た時にこの島に逃げ込んだギリシャ人たちによって建設されたそうだ。
ちなみに、道が狭くて車はこのゲートの内側の町には入れない。
ゲートの外の長い一本道には、縦列駐車が延々と続いているのだが、その多くは観光客のものではなく、中で働いている人や中の住民の車だと思う。
さて、せっかくここまで来たのだから、と、モネンバシアの山の上の城壁を目指す。
つづら折れの坂道が見える。目の前の高さに一瞬ひるむけど、登ってみればそれほど大したことない。
前日のミストラ遺跡もとりあえず山の頂上を目指した。折角来たのだから、とりあえず登ってみるのだ。そこに遺跡があるのだから。
石畳や階段が、磨り減ってしまったのか、靴がすべりやすくなっている。気をつけて、ゆっくり登る。
この道は、女性のサンダル履きではちょっと厳しいかもしれない。
そして、上に着きました。
思わず、来た道を見下ろしてみたくなる。
そして切り立つ崖、眼下の小さな町、青い海の絶景。
台地状になっている上の世界は、下の狭い町とは対照的に、だだっ広い草原の中に建物跡や城壁の遺跡が点在している吹きっさらしの廃墟の世界。
ここはかつては町の支配者層がお城を築いて住んでいたんだなあ。
諸行無常。
崖の下には、ただひたすら青い海が、遠い水平線に至るまで、周囲に広がっている。
教会の遺構が状態良く残っていた。アギア・ソフィア教会。今は無人の廃墟。
そこの教会の横を抜けて、ずんずん奥へ進む。
教会から10分ほど歩いて、城壁跡に到着する。
モネンヴァシアの上まで来る人は多いけど、大抵の人はアギア・ソフィア教会まで見て帰ってしまい、一番奥のここまで歩いてやって来る人は非常に少ない。(私以外には、二人くらいしか見なかった。)
しばし佇む。
そのうち飽きてきたので教会の方向に戻る。というか、寂寥感に耐えきれなくて。
しかし海がキレイだ。
モネンバシアの上は、ちょっとしたハイキングコースになっていて、教会や城壁跡以外にも、ハマムの跡や貯水池の跡が点在している。この廃墟もかつてはモネンヴァシアの支配者階級の住む場所で、水道の確保はまさしく生命線だったんだろうな、と想像したり。
太陽がだいぶん傾いてきて、黄昏時の光線が枯れ野の草にきらめいて、めっちゃキレイ。
思わず思い出してしまったのは、アレですよ、ナウシカのアレですよ。
モネンヴァシア、来て良かった。
この廃墟の台地で夕暮れを見ようか、と思ったけど、やっぱり暗くなる前に、下の町に降りた。
そしてカフェに入ってひとまずビール、である。
7時過ぎでまだ明るかったけど、夕食取らな、と思い、モネンヴァシアと本土を繋ぐ一本道の付け根辺りに位置している、一軒の雰囲気のいい浜辺のレストランに入った。
野外のテーブルに腰をかけて佇んでいると、対岸の浜辺の方から、スピーカーに流れてポップス風の楽しげな歌と演奏が聴こえてきた。
ビーチで地元バンドのコンサートが開催されているみたい。
ギリシャの郷土料理のムサカ(美味しい)を食べ、地酒(醸造酒)Tsipouroを飲んでいる内に、すっかり夜に。
ギリシャの僻地の海辺で、お酒を飲みながら物思いにふけるオレ。
ああ、こんな老後を過ごしたい。
暗くなったので、帰りはタクシーを使った。
ギリシャ一人旅 その5 三日目 スパルタ、モネンヴァシア [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
2012.8.13 Mon
この日の行程は、スパルタ→モネンヴァシア。
スパルタのバスターミナルから、モネンヴァシア行きのバスは11時45分発。
モネンヴァシアは、ペロポネソス半島の南の端のほう、まさしくペロポネソス半島の最果てに位置している観光地。
10年以上前昔に買った地球の歩き方には載っていたのに、最新の地球の歩き方には載ってない、何故か判らないけど。
アテネから直通バスが出ていて、6時間かかる。ルート的にはコリントスとスパルタを経由して、ペロポネソス地方を南下するルートである。
[ちなみに、アテネ(ピレウスかも)とモネンバシアの間に夏季限定のフェリーも存在するようだ。
けどネットでギリシャのフェリーの予約サイトで調べると、週末の1本しかなく、今回は曜日が合わなかった。]
さて、バスの時間が12時前、ということで、ちょうど上手い具合に午前中の時間が余ったので、ホテルをチェックアウトする前に、スパルタの町はずれにあるスパルタ遺跡を見に行った。
スパルタの街を東西に走るメインストリートを東に歩くと、その突き当りにスパルタ市のシンボル、レオニダス1世の像が立っていた。
この勇ましい感じの男性は、ペルシア戦争の時の英雄である。
映画「300(スリーハンドレッド)」で、ジェラルド・バトラーが演じた人だ。
その奥は競技場になっていて、朝の時間帯、ジョギングを楽しむランナー達の姿が。
その競技場を回りこむように歩いた先が小高い丘になっていて、そこがエンシェント・スパルタ、古代スパルタの遺跡だった。
この遺跡は完全に開放されていて、入場料は取っていない。
遺跡自体は整備されていなくて、発掘された状態でそのまま放置されている感じ。
「深夜特急」での若かりし沢木耕太郎は、そこが気に入ったようで感慨にふけっていた。
ところで、私が行った時には遺跡内で何人もの作業者が働いていて、重機で何やら作業していたり、測定していたりしていた。
半ば放置状態にあるこの遺跡を、観光資源としてちゃんと整備しようとしているのかもしれなかった。
遠くに見える山並みが綺麗で印象的だった。
山に囲まれて、朝の空気が爽やかだった。
正午前、バスに乗ってスパルタを出発した。ちなみにモネンバシアまで10ユーロ。
モネンヴァシアに到着したのは、午後3時過ぎの炎天下。
バス停で降りると、目の前には、海に突き出すモネンヴァシアの巨大な岩塊が! でーんっっ!!と!
なんか感無量。ここまで来たんだ。まさしく旅をしている実感。(バスに乗って寝てただけなんだが)
まずは、バス停の前のKTEL事務所で、明日のアテナに戻るバスの時刻をチェック。
貼り紙を見る。
アテネまで6時間かかり、明日のクレタ島行きのフライト時刻19:25に間に合う為には、朝7:15分のバスに乗らないと。 明日は火曜日だから、朝8時台のバスは無いし。
ふ~む、モネンバシア観光は今日(既に午後3時)の数時間しか取れないわけだ。
もっとゆったり滞在したかったのになあ、残念。
ここで、ちょっとした想定外のトラブル。
予約していた宿を探し出してチェックインするのに30分以上、時間を無駄にロスしてしまう。
ホテルの所在地の地図を印刷して持って来ていたんだが、その地図が大嘘だったのだ。
おかげで、全然違う場所の、住宅地の中の坂道を登ったり下ったり、重いリュックを担ぎながら、炎天下の中をぐるぐると歩き回る羽目に。
最終的に、通りがかったホテルにお邪魔して、そこの人に聞いて、初めて今夜の宿の所在地が判明したのだが、町を離れた場所に建っている事が判明。
さすがに今度はタクシーを使い、ようやく今夜の宿、Lekka's Houseにチェックインできたのだった。
そこは、キッチンもついた、いわゆる滞在型の宿。広いし、清潔で、宿としては申し分なかった。
窓を開けてベランダに立つと、海外線とモネンバシアの島がとても綺麗に見れる。
明日の朝の出発時間は早いので、チェックインの時に宿の支払いを済ませた。カードは使えなかった。
既に午後4時前。
部屋に荷物を置き、急いでモネンヴァシアに向かったのだった。
続く
この日の行程は、スパルタ→モネンヴァシア。
スパルタのバスターミナルから、モネンヴァシア行きのバスは11時45分発。
モネンヴァシアは、ペロポネソス半島の南の端のほう、まさしくペロポネソス半島の最果てに位置している観光地。
10年以上前昔に買った地球の歩き方には載っていたのに、最新の地球の歩き方には載ってない、何故か判らないけど。
アテネから直通バスが出ていて、6時間かかる。ルート的にはコリントスとスパルタを経由して、ペロポネソス地方を南下するルートである。
[ちなみに、アテネ(ピレウスかも)とモネンバシアの間に夏季限定のフェリーも存在するようだ。
けどネットでギリシャのフェリーの予約サイトで調べると、週末の1本しかなく、今回は曜日が合わなかった。]
さて、バスの時間が12時前、ということで、ちょうど上手い具合に午前中の時間が余ったので、ホテルをチェックアウトする前に、スパルタの町はずれにあるスパルタ遺跡を見に行った。
スパルタの街を東西に走るメインストリートを東に歩くと、その突き当りにスパルタ市のシンボル、レオニダス1世の像が立っていた。
この勇ましい感じの男性は、ペルシア戦争の時の英雄である。
映画「300(スリーハンドレッド)」で、ジェラルド・バトラーが演じた人だ。
その奥は競技場になっていて、朝の時間帯、ジョギングを楽しむランナー達の姿が。
その競技場を回りこむように歩いた先が小高い丘になっていて、そこがエンシェント・スパルタ、古代スパルタの遺跡だった。
この遺跡は完全に開放されていて、入場料は取っていない。
遺跡自体は整備されていなくて、発掘された状態でそのまま放置されている感じ。
「深夜特急」での若かりし沢木耕太郎は、そこが気に入ったようで感慨にふけっていた。
ところで、私が行った時には遺跡内で何人もの作業者が働いていて、重機で何やら作業していたり、測定していたりしていた。
半ば放置状態にあるこの遺跡を、観光資源としてちゃんと整備しようとしているのかもしれなかった。
遠くに見える山並みが綺麗で印象的だった。
山に囲まれて、朝の空気が爽やかだった。
正午前、バスに乗ってスパルタを出発した。ちなみにモネンバシアまで10ユーロ。
モネンヴァシアに到着したのは、午後3時過ぎの炎天下。
バス停で降りると、目の前には、海に突き出すモネンヴァシアの巨大な岩塊が! でーんっっ!!と!
なんか感無量。ここまで来たんだ。まさしく旅をしている実感。(バスに乗って寝てただけなんだが)
まずは、バス停の前のKTEL事務所で、明日のアテナに戻るバスの時刻をチェック。
貼り紙を見る。
アテネまで6時間かかり、明日のクレタ島行きのフライト時刻19:25に間に合う為には、朝7:15分のバスに乗らないと。 明日は火曜日だから、朝8時台のバスは無いし。
ふ~む、モネンバシア観光は今日(既に午後3時)の数時間しか取れないわけだ。
もっとゆったり滞在したかったのになあ、残念。
ここで、ちょっとした想定外のトラブル。
予約していた宿を探し出してチェックインするのに30分以上、時間を無駄にロスしてしまう。
ホテルの所在地の地図を印刷して持って来ていたんだが、その地図が大嘘だったのだ。
おかげで、全然違う場所の、住宅地の中の坂道を登ったり下ったり、重いリュックを担ぎながら、炎天下の中をぐるぐると歩き回る羽目に。
最終的に、通りがかったホテルにお邪魔して、そこの人に聞いて、初めて今夜の宿の所在地が判明したのだが、町を離れた場所に建っている事が判明。
さすがに今度はタクシーを使い、ようやく今夜の宿、Lekka's Houseにチェックインできたのだった。
そこは、キッチンもついた、いわゆる滞在型の宿。広いし、清潔で、宿としては申し分なかった。
窓を開けてベランダに立つと、海外線とモネンバシアの島がとても綺麗に見れる。
明日の朝の出発時間は早いので、チェックインの時に宿の支払いを済ませた。カードは使えなかった。
既に午後4時前。
部屋に荷物を置き、急いでモネンヴァシアに向かったのだった。
続く
ギリシャ一人旅 その4 二日目 スパルタ、ミストラ 続き [ギリシャ旅行の記録 2012年8月]
引き続き、2012-8-12 Sun
ミストラ遺跡
そしてミストラ遺跡の山の頂上に到着。
お城の廃墟が広がる。ここに、かつての都市の支配者階級が住んでいたのも、今は遠い昔。
山頂に到達する辺りから、なんか空がゴロゴロ言ってきた。
昨日みたいに雨が降るんじゃないかと気が気じゃなくなって、下山する。(結局降らなかったけど。)
下山している最中で気を取り直して方向転換、出口とは逆方向の、行きしなでは通っていない教会に足を伸ばす。
この教会の中に、監視員のおじさんが一人で立っていた。
教会に入った私に、人懐っこそうに微笑みかけてくれた。ずーっと一人孤独に過さなければならない、ある意味大変な仕事やな〜って思う。
というわけで、2時間以上かけて遺跡を見て回った私。
とりあえず、ミケーネ遺跡は行けなかったけど、今日の目的は達成したぞ、と。
さようなら、ミストラ遺跡よ。
遺跡のある斜面のすぐ下にレストランがあり、そこでビールと遅いランチを取った。
行きに乗ったバスが、スパルタに戻るバスの最終でもあり、もうバスは無い事は聞いていた。
レストランの人に頼んで、タクシーを呼んでもらう。
けど、どうやらタクシー会社につながらない模様。
レストランのお姉さんが、自分の腕時計を見ながら「バスの最終がそろそろあるはずよ。日曜? 日曜でもバスは来たと思うけど」なんて適当な事を言うもんだから、とりあえずレストランの外に出てバスを待ってみる。
20分経過。
やはり日曜日でバスのダイヤが違うのだ。
レストランにすごすごと戻って来た私の顔を見て、心底申し訳なさそうな顔をしたお姉さんが、再度タクシー会社に電話してもらう。
しかし、何度かトライしてもらった挙げ句、「タクシー会社が電話に出てくれない。」だって。「ひょっとして、お昼寝してるのかしら・・・。」って。
それに「スパルタまで行くだけで、20ユーロも取られるらしいわよ。」とのこと。
多分、タクシーの運転手からしてみれば、スパルタ市内からの往復になるので、こっちの足元も見て、それぐらい吹っかけたくなるんだろな〜、と想像。
いずれにせよ埒があかないので、暗くなる前にスパルタまでの道を歩いて帰る事にした。
ひたすら道なりに歩くだけだったので迷う事は無かったが、炎天下の中、6km、1時間半かかった。
リュックをホテルに置いてきておいて、本当に良かった。と心の底から思った。
というか、やっぱレンタカーっしょ。
そしてスパルタ市街地に入った時には、ミストラ遺跡の頂上に登った時と同じかそれ以上の達成感を感じたのだった。
夕方のスパルタは、さきほどとは打って変わって、夜の町の賑わいを見せていた。
町のメインストリート沿いに並ぶカフェに集い、カフェの内側でなく屋外の席に腰掛けて、家族連れや友人通しでダベったりテレビのサッカーを観戦しながら、日曜の夜を過ごす市民が多数。
ホテルの部屋の洗面台で、人生初の、旅先での洗濯を敢行し(けっこう大変)、ベランダにロープを張って洗ったTシャツやら下着やらを干す。
夕食は、ホテルの近所の食堂で、Stuffed Tomato。ライスを詰めたトマト。食べやすく、美味しかった。
今日の結論
ペロポネソス半島は、レンタカー。
ミストラ遺跡
そしてミストラ遺跡の山の頂上に到着。
お城の廃墟が広がる。ここに、かつての都市の支配者階級が住んでいたのも、今は遠い昔。
山頂に到達する辺りから、なんか空がゴロゴロ言ってきた。
昨日みたいに雨が降るんじゃないかと気が気じゃなくなって、下山する。(結局降らなかったけど。)
下山している最中で気を取り直して方向転換、出口とは逆方向の、行きしなでは通っていない教会に足を伸ばす。
この教会の中に、監視員のおじさんが一人で立っていた。
教会に入った私に、人懐っこそうに微笑みかけてくれた。ずーっと一人孤独に過さなければならない、ある意味大変な仕事やな〜って思う。
というわけで、2時間以上かけて遺跡を見て回った私。
とりあえず、ミケーネ遺跡は行けなかったけど、今日の目的は達成したぞ、と。
さようなら、ミストラ遺跡よ。
遺跡のある斜面のすぐ下にレストランがあり、そこでビールと遅いランチを取った。
行きに乗ったバスが、スパルタに戻るバスの最終でもあり、もうバスは無い事は聞いていた。
レストランの人に頼んで、タクシーを呼んでもらう。
けど、どうやらタクシー会社につながらない模様。
レストランのお姉さんが、自分の腕時計を見ながら「バスの最終がそろそろあるはずよ。日曜? 日曜でもバスは来たと思うけど」なんて適当な事を言うもんだから、とりあえずレストランの外に出てバスを待ってみる。
20分経過。
やはり日曜日でバスのダイヤが違うのだ。
レストランにすごすごと戻って来た私の顔を見て、心底申し訳なさそうな顔をしたお姉さんが、再度タクシー会社に電話してもらう。
しかし、何度かトライしてもらった挙げ句、「タクシー会社が電話に出てくれない。」だって。「ひょっとして、お昼寝してるのかしら・・・。」って。
それに「スパルタまで行くだけで、20ユーロも取られるらしいわよ。」とのこと。
多分、タクシーの運転手からしてみれば、スパルタ市内からの往復になるので、こっちの足元も見て、それぐらい吹っかけたくなるんだろな〜、と想像。
いずれにせよ埒があかないので、暗くなる前にスパルタまでの道を歩いて帰る事にした。
ひたすら道なりに歩くだけだったので迷う事は無かったが、炎天下の中、6km、1時間半かかった。
リュックをホテルに置いてきておいて、本当に良かった。と心の底から思った。
というか、やっぱレンタカーっしょ。
そしてスパルタ市街地に入った時には、ミストラ遺跡の頂上に登った時と同じかそれ以上の達成感を感じたのだった。
夕方のスパルタは、さきほどとは打って変わって、夜の町の賑わいを見せていた。
町のメインストリート沿いに並ぶカフェに集い、カフェの内側でなく屋外の席に腰掛けて、家族連れや友人通しでダベったりテレビのサッカーを観戦しながら、日曜の夜を過ごす市民が多数。
ホテルの部屋の洗面台で、人生初の、旅先での洗濯を敢行し(けっこう大変)、ベランダにロープを張って洗ったTシャツやら下着やらを干す。
夕食は、ホテルの近所の食堂で、Stuffed Tomato。ライスを詰めたトマト。食べやすく、美味しかった。
今日の結論
ペロポネソス半島は、レンタカー。