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カルテット、山田孝之のカンヌ映画祭 [テレビドラマ]

2017年第一クールのテレビドラマで個人的に大いにハマったのは、この2本だった。両作とも断トツで面白かった。

それにしても「カルテット」のネット上のフィーバーは只事ではなかった。その割に視聴率はイマイチだったようで、この乖離は一体何だろうって思う。観る側にある程度のリテラシーが無いと、ハマらない感じのドラマだったのか、或いは、キャスティングが通好みしすぎだったのか? まあ、何かしながら(例えば、家事をしながら、など)の鑑賞スタイルには明らかにそぐわないドラマだった。集中して観て、セリフとセリフの行間を読んだりしたりしないと、ハマりようがないドラマだったというか。

視聴率なんて旧態依然のシステムなのは誰が見ても明らかで、その数字だけで評価されてしまうのはおかしな話だと思うけど、実際問題、作っている人達は非常に悩ましいだろうな。

軽妙なセリフ劇の中に、不意にシビアな現実や、シリアスな感情や、人知れず抱え続ける痛みなんかが顔を出す、成熟した脚本。それは真木よう子主演の「問題のあるレストラン」にも通じる世界観だと思う。中でも、アリとキリギリスの教訓を痛烈に自覚しつつ、それでもキリギリスを続けていくことへの、清々しくも傷だらけの決意。

それとやっぱり松たか子と満島ひかりの二人が、巧すぎ。この二人には毎回持ってかれてしまったのだが、特に、4人の中で末っ子キャラを演じた満島ひかりの大粒の涙は、本当にやばかった。一方で、お姉さんキャラを演じた松たか子も流石で、4人の中で一番常識人の彼女が一瞬だけ魔性キャラに変容するさまには、ゾクッと来るものがあって、全体的にも絶妙なスパイスの役割を果たしていたと思う。
この二人にアリスちゃん吉岡里穂が躊躇なく土足で踏み込んでくるあのシーンは、今思い出しても鳥肌。あるいは、松田龍平が淡々と「孤独死上等」と言い放つシーンも、さらりと壮絶であり・・・やはりこの人の脚本はただごとではない。いちいち渋い所を突く、各回のゲストの人選も楽しかった。

当初、主演4人の間で繰り広げられるラブストーリー、と思わせておいて、そんな四角形ラブ展開を、しれ〜っと回避しちゃうのも良かった。いや、四角関係をきっちり成立させつつ、目的はそこではないので、余計にその四角関係が隠し味として効いてくるというか。

かたや「山田孝之のカンヌ映画祭」、これは「カルテット」ほどネットニュースに出なかったけど、「カルテット」に負けず劣らず面白かった。

前作の「赤羽」と同様、ドキュメンタリーかフェイクかの判別がイマイチつかない語り口で、被写体である山田孝之が映画プロデューサーとしてカンヌのパルムドール受賞を目指す様子を追い掛けていく。
俳優としてではなく製作者として、という出発点からして、まあ基本的に、ちょっとイカれた感じで話は進んでいくわけである。だってそのために設立した会社の社名がカンヌだったり、その事務所には漫☆画太郎画伯による山田孝之の似顔絵が飾ってあったり。

松江哲明と共同監督の山下敦弘は、実際のところ、山田君の言動に右往左往する映画監督という役割の、もう一人の被写体。言わば、太陽と月の月である。この対照的な被写体2人の二人三脚が、前作同様、一種のバディ的なノリとなって、全体の雰囲気を支配している。

ナレーションが長澤まさみ、最初にナレーションで彼女の声を聞いた時は軽く「えっ?」となった。そしてパルムドールを目指すために山田孝之が連れて来た主演俳優が、なんと芦田愛菜!
彼女は今年中学入学だから、収録当時は小学6年生、ちょうどお受験勉強の真っ只中だったのではなかろうか。 そんな大切な時期に彼女を連れ出して、一体何してんの君ら。しかし彼女は本当に頭が良い。カンがいい、というか。

それと二人が富士の樹海を舞台に芦田愛菜主演で撮影したパイロットフィルムのタイトルが、何か殯の森っぽいよな〜と思ってたら、後の方になって河瀬直美監督ご本人が降臨してビックリ。気さくな人です。
オープニングテーマはフジファブリックによる騒々しいロックナンバー、そしてエンディングはスカートによるメロウナンバー、この曲(「ランプトン」)で毎回余韻に浸るのも、終わってしまった今となっては名残惜しい。

両方ともブルーレイ欲しいなあ、と思っている。


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