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ビューティフル・デイ [映画]

ホアキン・フェニックス主演のクライム・サスペンス。監督は「少年は残酷な弓を射る」の女流監督リン・ラムジー。「少年は~」は観ていないのですが、本作を観て、俄然観たくなりました。

この「ビューティフル・デイ」というタイトルは、てっきり原題と同じだと思ったのですが(だって英語)、実は、さにあらず。原題は「You Were Never Really Here」・・・邦題である「ビューティフル・デイ」は観終わった後ではすんなり理解できるのですが、この原題は非常に謎めいている。「ビューティフル・デイ」のように一筋縄で意味が理解できるタイトルではなく、観終わった後で色々と意味を推理したくなるようなタイトルと言えます。それはともかく、この原題が画面に文字として出現するシーンが映像として非常にカッコよく、それでこの原題が印象に強く残っている。

ストーリーは、ホアキンが演じる主人公の職業が、正直よく分からないのですが、おそらく依頼を受けて行方不明の児童やティーンネイジャーの行方を捜索し救出することが専門の、闇稼業の私立探偵か何か。そしてこの男、腕っぷしは非常に強いのであるが、一方で酷い自殺願望に苛まれていて、それは幼少期の父親からの家庭内暴力に由来しているのだけど、そんな父親のDVの記憶以外にもいくつか別の罪悪感があって、それらの記憶の頻繁なフラッシュバックに苦しんでいる。

そんな彼が、ある少女の救出を依頼され・・・というストーリー展開。
主人公と少女の関係性は「LEON」を彷彿とさせるものがあり、一方で、まさにハードボイルドとノワールを地で行く展開、ミステリアスな主人公のバックグランド設定、重たいバイオレンスを唐突に炸裂させることの劇的な効果、といった点において、ぶっちゃけ、ライアン・ゴズリング主演の傑作バイオレンス映画「ドライヴ」に非常に近しい雰囲気を持った作品だと思う。

そして音楽がジョニー・グリーンウッド! これがまた、流石というか、非常に良いです。PTA新作「ファントム・スレッド」ではネオ・クラシックなアンビエントミュージックで、映画の内容とのマッチ具合が本当に素晴らしかったけど、本作ではクラブミュージック寄りのアンビエントで、時に映像とストーリーが大音量の音楽の中に没入し、本作の緊張感を極限まで高めている。どちらの作品においても、彼の音楽家としての冴えが、本当にハンパない感じです。もう完全に映画監督と共同作業をしている、というか。

主演のホアキン、めっちゃ太って老けちゃったな~と思いながら観てたんですが、普通に考えたらそれは単なる役作りである。そう考えると、やっぱりこの人も凄い。それと、主人公とその母親との関係性には、普通に泣かされました。この監督さん、映像の構図や質感や色彩性、細かいカットの組合せ方など、そうとう映像に対する美意識が強い方だと思います。

個人的評価 4.5点/5点満点

ちなみに「ファントム・スレッド」は、4点/5点満点。画面の隅々まで意識を張り巡らせた絵作りは、流石PTAさんやな~という感じでした。



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やれたかも委員会、は実は名作、かも? [テレビドラマ]

TBSの深夜30分ドラマ枠で放送されている「やれたかも委員会」。

かつての「やれたかもしれない」記憶を、今も胸の奥に抱え続ける男たち。そんな彼らが打ち明ける「やれたかも」エピソード(回想ドラマ形式)に対して、3人の審査員たちが「やれた」「やれたとはいえない」のどちらかを認定するという、バカバカしさ満点の深夜ドラマ。原作はコミックとのこと。一見、B級テイスト満載のライトなお色気コメディなんですが、これが実際のところ、なかなかの良作。青春恋愛系ショートドラマとして、毎回毎回、実にいい余韻が堪能できるのである。

浜野謙太、間宮祥太郎、中尾明慶、永野宗典などが、各回のゲスト俳優として、やれたかもエピソードを3人の審査員の前で打ち明ける役どころとして出演。

そしてレギュラー役である、やれたかも委員会の3人を演じるのは、佐藤二朗、白石麻衣、山田孝之の3人。この3人が絶妙のキャスティング。やれたかもエピソードの内容に無言かつ真剣な表情でじっと耳を傾け、時折ちょっとした仕草や表情の変化でリアクションを取る姿が、いちいち可笑しい。

常にオシャレ帽子+グラサン姿でクールな雰囲気を醸し出しながら、独自の着眼点を感じさせる発言を繰り出す山田孝之(その肩書きはミュージシャン)。彼は時折、持参のノートブックPCに何やらメモを打ち込んでいるのだが、それもまた、無意味にクールである。
白石麻衣は、メガネポジションを片手で直す仕草がトレードマークの学級委員長風女子を演じていて(肩書きはナントカ協会理事、とのこと)、男子目線の願望に流れていきがちな「やれたかも」議論に対して、女子目線による鋭く厳しい指摘をズバズバと冷静沈着に放り込んでくる感じ。

そして何かの武術家のような格好で、やれたかも委員会3名の真ん中に鎮座する委員長ポジションを演じる佐藤二朗(肩書きはナントカ塾の塾長・・・)。目の前で語られるエピソードに触発されて、この男の内部に沸々と沸き起こる何らかの感情の高ぶりを、眼差しや表情の変化で雄弁に表現する。実にあるべき姿勢で話に食い付いている。そして対象者に向けられた、慈愛に満ちた温かな眼差し。時代に愛されつつある怪優、佐藤二郎のベストワークが、ここにまた、もう1つ誕生していた。なんとなく結論がついて、消灯された部屋からスタスタと立ち去る時の、スッーとした感じの無表情も含めて、最高だ。

遠い記憶の中の面影、成就されなかったことへの未練。起こり得たかもしれない無限の可能性、そして、そうならなかったことに関する多角的な分析と深い洞察・・・。そうして最終的に胸の奥に広がる、妙に爽やかな余韻。それぞれの回によって違いはあれど、本作を貫く基本的なモチーフは、出逢いと別れが人生の本質であり奇跡でもある、っていうことで、そこが変にブレていない点も高い評価ポイントだったりする。

第一話の「やまなみ」編、そのネーミングセンスが大好きだ。それまでのパターンを軽く裏切ってくれる最終回も良かった。


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